『マリー・アントワネット』帝劇:感想②~花總アントワネットにひれ伏した~

(。TωT)/゚・:*【花總アントワネット様:当代きっての皇后役者ご健在!】*:・゚\(TωT。)

 

主役が変わると、こんなに作品の印象って変わるの !? w(゚ロ゚;w(゚ロ゚)w;゚ロ゚)wオォォーー!!

Wキャストの役作りの方向性が違うのと、どちらも美貌と実力があるだけに、

面白い舞台です。(変わらず、キャスト>作品)

 

「花總さんアントワネット」は、登場した瞬間から「皇后様」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

庶民(さいたまんぬ)には共感できない世界に生きておられるお方。

「お姫様のまま、大人になった世間知らずの人」でした。

 

いつも長いので、先に言いたいことを要約すると、

・「庶民の貧困」を理解できないまま、純粋に生きた結果、国民に反感を抱かれた。

 本人は最期まで、理解できてないと思う。それを表現できる所がすごい!!

 「純粋無垢な皇后」を貫いた演技がピカイチ (*TーT)b

・この「花總さんアントワネット」により、「マルグリット」と「フェルゼン」の演技が変わっていた (゚ロ゚屮)屮

・二人の演技が変わることで、作品の中途半端感が薄れ、説得力があり、どちらの「M・A」にも共感できた。

・「笹本アントワネット」の「母の愛」VS「花總アントワネット」の「皇后と恋物語

 ・・・面白い (゚∇゚ノノ"☆(゚∇゚ノノ"☆ナイス☆!!

 ~~~~~~~ ~~~~~~~ ~~~~~~~ ~~~~~~~ ~~~~~~~ ~~

「笹本さん」は、「母の愛」で泣かせるのに対して、「花總さん」は庶民には共感できない次元にいるので、涙一筋位でした。

美貌と実力が、お二人共にあり、輝いているので、「好み」は分かれそう。

 

個人的には「花總さん」の方が、アントワネットのイメージにしっくりきました。

それに引きずられた(ように見えた)「ソニンさんマルグリット」、「田代さんフェルゼン」の演技の変化も、役柄への共感度が高くなったので、作品が良く見えました。

 

「花總さんアントワネット」の真骨頂・・・「共感できない皇后様度」

「笹本さん」も美貌と実力を持っている方なので、「皇后度」は演技の優劣ではなく、持ち味と思います。

ただ、「皇后」らしい演技のちょっとした表情や見せ方は、「花總さん」上手いです。

偏見と贔屓目かもしれません。

でも、個人的イメージのアントワネットは、「花總さん」でした (*TーT)b 

 

以下は、個人的好みと、個人的な感想なのでご容赦ください。

そして現時点での感想です。(リピート決定!!)

昨日観た、初観劇と違うキャストは、「アントワネット笹本さん⇒花總さん」のみ。

個人的大本命の組み合わせです。

 

「花總さんアントワネット」中心の感想です。

登場した瞬間から、

「生まれた時から宮殿育ちのお姫様がそのまま大人になった世間知らず」オーラ満載。

「マルグリット」に罵声を浴びせられても、理解できない ?(゚_。)?(。_゚)?

「貧しいってなぁに?(知らない世界)」

「可哀想ね。(貧しい状況は分からないけど、厳しい状況である事は理解できる。)」

こんな場面のやりとりがあり、その時の表情が、純粋過ぎて、あっぱれ w(゚o゚*)w

 

ソニンさんマルグリット」も、このオーラを浴び続けてるからか、割と早い段階で、「アントワネットや特権階級」への憎しみより、生まれの差だけで、境遇の違いがあることに対する、みじめな気持ちとやりきれなさが怒りの源になって見えます。

そして、早い段階で、「アントワネット」への憎しみに対する、気持ちに葛藤が生まれて見えます。

 

「特権階級」や「金持ち」は「憎い」。

けど「アントワネット」はそういう生き方しかしてないから知らないんだ。

⇒「笹本さんアントワネット」は、割と強くて庶民的なので、同じ土俵に見えなくもないため、「笹本さんアントワネット自身」が言う言葉によって、気づいていく感じ。

だから、喧嘩し(ののしり)あって、対等に見えました。

⇒「花總さんアントワネット」だと、その雰囲気・佇まい等言葉にできない「姿」から自ら気づく感じ。この方には敵わない感と、諦観の境地!?

 

なので、段々、自分の中での葛藤が大きくなり、終盤、民衆が「アントワネット」を責めている姿を見て、違和感を感じる「動揺度」が高かったです。

よって、割といい人に見える「ソニンさんマルグリット」。

 

現実的思考「田代さんフェルゼン」も、「現実を見なければならない」と「アントワネット」を説教しつつも、内心で、「この方には理解できない」と分かってる。

それでも、「この無垢な女性が愛おしい」という感じで「アントワネットLOVE」度が高い!!

 

「母の愛」が低い代わりに「フェルゼンとの愛に生きがいを持つ女性アントワネット」

愛の場面が多くても、「フェルゼン」の愛も強くなっていて、違和感がない。

 

フェルゼンは、「現実」と「非現実的な愛」との葛藤に苦しむ人。

「田代さんフェルゼン」の葛藤は深くなり、ノーブル度が元々高い方なので似合う。

演技が良くなった?(フェルゼンが変わった!?)

⇒ よりいい男に見えました。&「田代さん」贔屓度アップ⤴⤴

 

なので、1幕は「マルグリット」たち民衆の苦しみと、非現実的な世界に生きる「アントワネット」中心の貴族社会が、同じ位に見えて、対比が浮き彫りになってました。

 

2幕も「マルグリット」も早い段階で、己の葛藤に入り、「アントワネット」は、マイペース。

ちなみに、もっとマイペースなのは、ルイ16世佐藤さん」ぶれないお方です。

 

お二人の「アントワネット」で、2幕で、大きく違う2つの場面。

 

子どもたちに子守歌を閉じ込められた部屋で歌う姿に、涙を誘う「笹本さん」

母親として子を想う気持ちは、庶民と同じ・・・と「マルグリット」が感じるように、さいたまんぬも、ここで「笹本さんアントワネット」の母性愛に、人間味と共感を抱きました。

 

ここ、「花總さんアントワネット」では、あまり涙を誘わなかったです。

「フェルゼン」との愛の場面で涙を誘う、「愛に生きる女、アントワネット」。

とはいえ、いい旦那さん「ルイ16世」との絆も少し感じます。

 

「笹本さんアントワネット」の愛:子どもたち≧フェルゼン≧ルイ16世

「花總さんアントワネット」の愛:フェルゼン>>ルイ16世=子どもたち

 

そして終盤、「アントワネット裁判(尋問?)」での場面。

「笹本さん」は、凛とした佇まい。(私の何が悪かったの!?)

「花總さん」は、生気を失って虚ろ。(私、何も悪くないのに、皆に全てを奪われた)

 

ここは、どちらの「アントワネット」にも涙した場面で、もう一回ガン見したい箇所。

つい、「ソニンさんマルグリット」の動揺ぶりの方を見てました。

 

今回は、「ソニンさんマルグリット」がかなり「アントワネット」に同情的で、涙をこぼす感じが、個人的に共感度高くて良かったです。

(強い女なので、泣かずに「涙をこぼす」感じがいい!!)

 

一見、「ソニンさんマルグリット」が弱くなったように見えました。

一見「アントワネットLOVE」でいつもの「フェルゼン」っぽくなってました。

でも、「葛藤」が違うのは、「アントワネット」の違い!?

演者に影響されて、演技が変わるのが、よく分かったお二人でした。

(アントワネットと物理的に絡みが多いお二人)

 

ぶれない「佐藤さんルイ16世」は、やっぱり上手い。

年齢不詳です。

 

というわけで、『エリザベート』と同じくWキャストは贅沢言えば、2回ずつ観たい。

「マルグリット」「フェルゼン」「ルイ16世」もWキャスト/(=ω=。)\

・・・お財布事情と、キャストの組み合わせに悩み、チラシがボロボロです。

 

歌は、頑張ってみましたが、子守歌の旋律ならなんとか・・・

やはり難曲です。

ただ、話が今回、筋が通って見えたので、歌は大事ですが、憶えるよりは、キャストの演技(と歌唱に惚れ惚れ)に魅入ってしまいました。

作品は面白いか?・・・やはり、面白くないですが、見応えがあるキャストと歌唱です。面白くなる・・可能性ありです。

 

現時点の個人的感想なのでご容赦ください。

長文を最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

さいたまんぬ

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