『エリザベート』を飽きずに観たくなるワケ~配役によってハマる場面が違う~
再演作品は、大概、好きな場面があり、その場面を新しい役者さんがどう演じるかを楽しみに観ます。
また、役者さんによって、「印象に残る場面」が変わります。
「好きな場面」が必ずしも、「印象に残る場面」とは限らないです。
その差が大きいのが『エリザベート』です。
「意外な場面」にハマり、「好きな場面」が案外「印象に残らない場面」になる。
どの場面で、自分の「ツボ」が刺激されるかが、楽しみの1つです。
そして、その「ツボ」な場面には、役者さんの魅力だけでなく、組の状況や力関係、雰囲気まで、反映されている気がして、つい、観たくなるのです。
宝塚版『エリザベート』は、「トート」か「エリザベート」を演じさせたいジェンヌさんから、逆算して、他のキャストが配役されます。
なので、「意外」な配役が、発表当初はミスキャストに感じることもあります。
その「意外な配役」が意外とハマっていたりして、「ギャップ萌え」「新たな魅力発見」に繋がります。
『エリザベート』で特に強く思うのは、宝塚オリジナル作品より、配役ごとに大きな「見せ場」があるからです。
ご贔屓だけを舞台で追いかけることなく、強制的に「見せ場」を観ることになります。
その結果、客観的に、作品を観ることから、印象に残る場面が変わります。
勿論、気になる役者さんがどう演じるか、ハラハラするという楽しみもあります。
Wキャストは、その登場場面の印象が、どう変わるか、という楽しみがあります。
さいたまんぬの「好きな場面」は、
・精神病院(エリザベートが歌う「魂の自由」)
・闇が広がる(1幕のトートとルドルフの銀橋場面)
・私が踊る時(2幕で、トートとエリザベートの銀橋場面)
・僕はママの鏡だから
さいたまんぬの「見所場面」(カッコ内が見所)は、
・鏡の間(1幕最後、エリザベートが目つきが変わり、変貌を遂げる度)
・最終弁論
(地味な印象から一転、熱さ・迫力が前面に出され、トートに拮抗するフランツ力)
・ミルク(舞台の熱量が伝わりやすく、民衆の熱量に負けない、トートの圧倒感)
辺りです。
配役によって、「場面の見応え」が変わるので、概ねの好きな順番です。
「印象に残る場面」は上記の中に多いですが、他の場面であることもあります。
個人的に、現時点で、好きな「トート」像、「エリザベート」像があります。
なので、「好きな場面・見所場面」の感動が大きい時は、ダメ押しする感じで、演じるジェンヌさんを「尊敬」します。
「意外に印象的だった場面」に出会った時は、そのジェンヌさんが「好き」になります。
理屈っぽいですが、
「尊敬する」は、「自分の理想通り演じてくれたから」
「好きになる」は、「意外性で魅了させる力量に惚れるから」
再演作品を、繰り返し観るほど、再演の観劇回数は多くないです。
比較的『エリザベート』は、再演をよく観ているのか、好きでインパクトが強くて、よく観ている錯覚に陥ってるのかもしれません。
今回の月組『エリザベート』では、「意外な場面」にハマる予感がします。
「好きな場面」に挙げてない場面。
・私だけに
です。
この曲は、有名だし、私も好きです。
でも、この場面、そんなに「ツボ」ではないです。
今まで、特に「ゾクゾク鳥肌が立つほど感動」しませんでした。
「好き」の理由は後付けなので、単にツボじゃなかっただけです。
ただ、今回は、「愛希さんエリザ」で、今までと違う印象を抱き、印象に残りそうなのが、「私だけに」の場面です。
想像つかない「ワクワク感」があります。
【「意外な場面」にハマる時、そのジェンヌさんを好きになる法則 】
からすれば、この場面、すごく楽しみです。(すでに「愛希さん」好きですが。。)
さいたまんぬ