雪組「凱旋門」②~「傑作」の理解断念と「彩凪さん」推し再燃~
本日2回目の観劇。
今回は、ガン見しました。
でも、開演前に「オペラグラス」を前席の椅子の下に落としてしまいました。
前向きに、舞台全体を公平に観れて良かったです (/へ\*)。。
「ストーリー」が難しいのではなく、「良さ」を理解するのが難しい作品。
と個人的に昨日思いました。
で、本日は「ガン見」しました。(念押し)
結論は、
「寝なくても、同じ感想」
でした。
人間とは、悪い点の方が目につきやすい生き物です。
それを心に留め、良い点をできるだけ見つけて、それに目を向けようと心掛けます。
でも、どうしても、見当たらないとき(見つけにくい時)、アラ(悪い点)が目につきます。
自分が、「傑作」を理解できないからと言って、言い訳(理由)を探してはいけないです。
自分の理解力のなさを受け入れるべきと思います。
よって、「傑作」を無理に理解する努力は、無意味だと放棄しました。
「宝塚歌劇」を楽しみに、スターを観に来てるのに、無い才能への理解に努力を費やすのは、勿体ない。
というわけで、2回目は、起きて、全編を観た結果、ほぼ昨日と同じ結論だった点を中心に感想を述べます。
あくまで個人的感想であることと、ネタバレを含むことは、ご容赦とご了承ください。
①なんで、轟さん主演でこの作品を大劇場で上演しなきゃいけないの?
②ヒロイン「ジョアン」に共感できない、嫌な女~なんでモテるの?~
③「アンリ」が2番手スターがするほど、大きな役に見えない。
④ストーリーに起伏がないので心がときめかない以上です。
共感できたのは、「ボリス」(望海さん)のセリフです。
・「あの女のどこがいいんだ?」
・「何もかも分からんよ」
です。
トップスター(望海さん)に共感できる点が、この作品の良いところ・・・かな?
理由を述べます。
①なんで、轟さん主演でこの作品を大劇場で上演しなきゃいけないの?
この作品は、いくら「ボリス」の役を膨らませても、圧倒的に主役は「轟さんラヴィック」にしか見えません。
「ボリス」が、準主役に見えるのは、セリフや歌の多さが理由です。
カップルのいい雰囲気の場面で、バックコーラス的に舞台上で歌い、進行役を務める辺りに、2番手時代を彷彿させ、舞台を引き締めている点では、素晴らしいのですが、トップスターなだけに切なかったです。
その他の役は、ほぼ同列に見えました。
強いてあげれば、「フランソワーズ」(美穂さん)が目立っておりました。
開演前のアナウンスも
「専科の轟悠です」
「ただいまより(略)凱旋門を上演いたします」と、「雪組」という言葉がないので、
「轟さん主演の作品」にしか見えませんでした。
確かに、「轟さんラヴィック」は「大人の男」ですが、あまり魅力的な人物に思えません(個人的感想)。
ツッコミ所が多い役です。
なので、主人公の悲哀に、共感を抱ききれずに終わりました。
「ボリス」には、共感は多く、ツッコミ所は少ないです。
そして、「望海さん」の持ち味とは違う感じの役です。
なので、本気で思ってなさそう、そんな人じゃないでしょ、と疑ってしまう辺りに、「ボリス」のミステリアス感が合うという皮肉さ。
同じ位、持ち味が違いそうな「永久輝さんのローゼンフェルト」。
こちらは、失礼ながら、全然似合わない役所に加え、「笑いどころ」(和ませキャラ)を、笑わせ切れず、切なさが滲みました。
その点において、比較するのはおこがましいですが、やはり「望海さん」は巧い役者だと、実感しました。
「永久輝さん」推しのさいたまんぬには、残念感が残りました。
②ヒロイン「ジョアン」に共感できない、嫌な女~なんでモテるの?~
「ジョアン」の魅力が分かれば、さいたまんぬは「魔性の女」として人生が変わったかもしれません。
残念ながら、分からなかったので、今に至ります。
一番気になったのが「あたし(時々わたし)」を連発する点。
耳につきます。
数えたくなる位、連発します。
「あたし、~~なの。」
「あたしはどうなるの?」
ラヴィックが、辛い状況下でも、「あたしはどうなるの?」と自分本位な女性です。
そこで、ラヴィックが「すまない」と思う辺りが、ラヴィックはいい人です。
さいたまんぬなら、「おれより、自分が大事なんだな」と見切りを付けそうです。
そういった場面が多々あるのに、ラヴィックは懲りない辺りが、不思議。
いえ、「ジョアン」を好きな人は「アンリ」もいるし、「いい女」の特権なのでしょうか?
以前、どこかで読んだハウツー本?で、モテるには、
「相手の名前を会話の最中に、挿入するのが良い」
とありました。
この場合、「ラヴィック、~~よね。」「~~~よね、ラヴィック」
なら、無意識に、惚れてしまうという理屈です。
でも、今回「あたし」連発なので、この法則は当てはまらない。
ハウツー本で「モテよう」という発想自体がずれているので、「ジョアン」から学ぶのが正しいとしても、好きになれない「ジョアン」。
ラヴィックと最初の出会いで、「愛する」とは何かを語り合うとき、
ジョアン「あなたがいなくなると生きていけないと思うこと」
みたいな場面があります。
ラヴィックが3か月位いなくなったら、さっさと、「アンリ」の元で暮らしてるじゃん!しっかり元気に生きてる。
言うことが軽すぎ!!
と思うのは、まだまだ、「大人の恋愛」を知らないのですかね。
もう、歳なので、今更無理なので、このまま、生涯を終えそうです。
③「アンリ」が2番手スターがするほど、大きな役に見えない。
昨日、寝てしまい、「もしかしたら、寝てる間に、アンリが魅力的に見える場面があったのかもしれない」と思っておりました。
が、寝てる間も、特に変化がなかったです。
印象変わらず。
むしろ、「えっ、出番これだけ!?」という位少ない出番。
魅力的にみせるには、少なすぎる出番とセリフと行動。
「彩風さん」気の毒だったなりよ (/へ\*) ...
「朝美さん」「永久輝さん」の方が目立ってたよ。(「彩凪さん」も)
④ハラハラドキドキ、ストーリーに起伏がないので心がときめかない
終始、冷静な「ラヴィック」と「ボリス」に加え、作品全体に(大戦前の)諦観が漂うので、盛り上がりがなかったです。
というわけで、さいたまんぬにまで、「諦観」が伝染しました。
ここで、ブログ題名に書いた、この作品の個人見どころ☆彡
昨日、寝ていて、見落としていたのが、「ヴェーベル」との絡みの場面。
本日、全編を見ると、「ヴェーベル」良い役じゃん!!
目立つし、いい人だし、「ボリス」よりミステリアス度がない分、違和感も少ない。
「アンリ」より「ヴェーベル」が3番手役で全然良かったのに、なんで変えたの??
という訳で、「彩凪さん」は白衣姿も、人物も魅力的だったので、おいしい役でした。
「彩凪さん」推しが再燃 ♡♡♡ O(≧▽≦)O ♡♡♡
「ショー」でも、やっぱり、「彩凪さん」がカッコ良かったので、「ファントム」で逆転ホームランをひたすら、祈願することにしました。
【2回目観劇の感想の結論】
「凱旋門」は、「ラヴィックと、その周辺を取り巻く人たち」
で、「ザ・轟」という作品でした。
さいたまんぬ