雪組「凱旋門」④~色んな意味で学べた「名作」~
また、寝てしまいました。
今日はラスト観劇。
余震による寝不足で、朝から二度寝しても余震で起きてしまい(眠りが浅い)、体調不良でトイレに籠るわで、寝てしまう要素満載の観劇日。
なので、風邪薬は我慢。
常備薬も、かなり早めに飲んで、気合を入れて臨みました。
なのに・・・もう、意識を失う感じなので、ご容赦ください。
決して面白くないから寝たわけではないです。
お隣の席の方は、号泣してました。
終盤は、起きてました。
お隣の方に「涙のツボ」を聞きたいけど、(寝てた手前)聞くのは失礼すぎる。
でも、今を逃したら、「名作」の一般的理由が分からないまま終わってしまう。
と、頭の中の意識はそちらへ、集中してました。
結局、幕間は、トイレへ走り、聞く余裕もなく、終わりました。
ラヴィックのセリフ「燈火管制か、凱旋門が見えない・・・」
・・・ラヴィックにやっと共感しました。
結局、「さいたまんぬ」には、一般的な「傑作への感性」が理解できずに終わりました。
一応、起きてた中での感想は、今朝の③とほぼ変わらずでした。
今回、「凱旋門」から、いろんなことを学びました。
①「昔の作品」と実感
今の時代、「空気は読まない方が人生うまくいく」、みたいな風潮があります。
下手に「空気を読んで」行動すると、かえって損するから、人の気持ちなんて、汲み取らず、行動した方が良い論です。
「さいたまんぬ」は、反対派です。
でも最近、「そうかも」、と思うような出来事があったりして、悩ましい日々。
それはさておき、この「凱旋門」の登場人物は、
「空気読む人」と「空気読まない人」に分けられます。
「空気読む人」:ボリス、ヴェーベル、ハイメ、フランソワーズ.etc
「空気読まない人」:ジョアン、アンリ、シュナイダー、ローゼンフェルト.etc
で、「空気読まない人」の末路の方が悲劇です。
ローゼンフェルトは「いい人」ですが、収容所へ行く事になります。
同じくハイメも「いい人」ですが、パスポートをラヴィックからもらえて幸せ派。
「空気読まない人」は、故意ではないので、悪くないです。
「空気読む人」は、意識してると思うので、個人の努力はあります。
努力を、苦労と思わない自然にできる人と、すごく負担に感じる人の個人差はありますが。
で、この作品では「空気を読む人」は、割と平和に過ごせそうな結末で終わります。
よって、「空気読まない人の方がうまくいく現代」からすると「古い時代」だなと思いました。
ちょっと言い過ぎで、実際はまだ、「空気読める人」の方がうまくいく方が多いとは思います。
「故意に空気読まない人」がうまくいく時代になってきたな、という感じです。
そこに「ラヴィック」。
このお方は、「空気読める人」と思われます。
出来る人で、うまく立ち回れる人なのに、自分から悪い方向へ突き進む辺り、「不器用な生き方だな」と思わせる点で、「空気を読むけど利用しない人」という別枠です。
『 枠に収められない、型破りで気難しい人=さいたまんぬの理解を超えた人=名作 』
と思いました。
ちなみに、さいたまんぬは多分、「空気読めてない人」です。
②自分にとって、優先順位をはっきり決めて行動する大切さ
今回、名作「凱旋門」の理解に時間を割きました。
結果的に、理解できず、消化不良感ありです。
ショー「Gato Bonito!!」の方が、断然、気に入りました ミヾ(^∇^*)乂(=^∇^)ツ彡
最初から、「名作」の理解は、「さいたまんぬには無理」と、分かっていた事。
それなのに、「凱旋門」に時間を割いた結果、「Gato Bonito!!」を反芻する時間が減りました "(/へ\*)"))。
もう、成長段階をとっくに過ぎた年齢なので、苦手分野の克服よりは、好きな分野を伸ばす?方へ尽力する方が、効率的且つ満足度も高いと、学びました。
来年の星組公演も「名作」の「再演」。
予習して、今回の事を教訓に活かしたいと思います。
③「宝塚歌劇」の「フランス観」の変化
「宝塚歌劇」といえば、「ベルばら」のような華やかな「宮殿」「輪っかのドレス」、「モン・パリ」のような、華やかなレビュー、のイメージです。
「フランス」=「おしゃれ」
それが最近、フランスは、「スカピン」「1789」「ひかりふる路」と、「華やかさ」から、激動の時代や民衆にスポットが浴び、「パリ」が「地味」になってます。
今回のパリは、激動も過ぎ、「省エネ」いえ「燈火管制」のように暗い舞台でした。
(大戦前なので、激動前ですね。)
さりげなく、変遷している Σ(・□・;)
(「All for One」は華やかでした。言い切りはいけませんね。)
時代に合わせて、作品チョイスや、「観客受け」も変遷しているのですね。
そろそろ、「輪っかのドレス」コテコテ舞台を大劇場作品で観たいです。
以上の事を、「凱旋門」から学びました。
劇団の意図から、おそらくかなり外れているとは自覚してます。
やはり、「宝塚歌劇」は人生を学ぶのに良い場所です。
こけてるので、学び方を間違えてますが。。
とはいえ、「再演もの」は、良いから「再演」されるので、今後もお願いします。
と、また「Gato Bonito!!」を熱く語るつもりが、先に「凱旋門」を優先させて、終わりました。
「ニャー」はもはや、「作品の魅力の一部」となりすっかり溶け込んでおりました。
後ろ髪を引かれつつ、反芻しながら、明日、埼玉へ戻ります。
「Gato Bonito!!」への熱い思いは、次の機会で綴ります。
さいたまんぬ