植田先生と「次代のベルばら」に思う~植田先生のインタビュー記事を読んで~

超長い個人的感想です。ご了承ください。

 

来年は、「ベルサイユのばら」上演45周年。

宝塚歌劇」とほぼ半世紀を共に歩んでいる。

1970年代、存続が危ぶまれた劇団をV字回復させてくれた、神様的作品。

ありがたいと思いつつ、最近は、上演が決まっても、テンションは正直、あまり上がらない。

とはいえ、観に行くし、観れば、華やかな舞台にテンションは上がりますが。。

 

むしろ、作品によっては、オリジナル新作の方がワクワクしてしまったりします。

ごめんなさい。

トップスターの在任期間が短くなっているだけに、できるだけ、上質且つトップさんの柄に合った作品を厳選してほしい。

でも演出家先生も「スター」と同じく育成するために、挑戦作品は必要。

挑戦作品が、結果的に大成功を収めることもあるので、バランスが難しいです。

 

「ベルばら」を持ち出したのは、

久々のご登場、「植田紳爾先生」のインタビュー記事を読んだからです。

 

ベルサイユのばら」の初演に携わったスタッフで存命なのは、植田先生お一人。

「次代のベルばら」と「宝塚」について、語っておられます。(最後に添付)

 

「宝塚の舞台の原点を残すことが、今の宝塚には大切なことだと思う」から始まり・・

長かったので、簡潔にまとめるのが苦手なくせにまとめてみました。

 

①ハングリー精神が、宝塚の原点なので、忘れないよう改めて伝えたい。

②お客様に喜ばれる作品でも、社会性を持たせ、その時代に合わせて問題提起していきたい。ベルばらの人物は時代の困難に逃げない、その生き方を見て考えてもらいたい。

 

ベルばら初演時は、劇団存続の危機の状況下、反対の声を押し切って、「ベルばら」は上演されました。

結果、空前の大ヒット。劇団は認知度、収益だけではない、大きなものを得ました。
それが、宝塚の男役スタイルの基盤となった、みえを切るなどの“魅せ方”です。

 

先生の①のハングリー精神は、危機感を抱きつつ、上演に向かって一丸となって稽古した熱い思いのことだと思います。

概要か、記事を読んでいただければ、分かりますが、植田先生は「警鐘を鳴らす」≒憂いておられます。

演出家「原田先生」も、別の雑誌で、やはり伝統の継承が、劇団を存続し続ける事には重要で、青春を犠牲にしてまで、「宝塚の世界」で生きることを覚悟したのだから、それ位のハングリー精神を持つ大切さを語っておられました。

植田先生同様、存続し続けるにあたり、同じ思いを抱いていらっしゃるのかな!?

 

植田先生の①②の考えについて、異論はないです。

でも少しだけ、素直にうなずけない疑問が残りました。

劇団存続の危機感からのハングリー精神はないかもしれません。

でも、今のジェンヌさんもハングリー精神を持って、たゆまず努力を重ねてます。

そして、「宝塚歌劇の特長と存続し続けられた原点」は、「ハングリー精神」と共に独自の「男役と娘役」と「スターシステム」を継承し守ってきたことだと思うのです。

(誕生時から観てないので、多少、変遷はあるかもしれませんが。)

「他の劇団」にない「独自のスタイル」は「男役と娘役」です。

「ハングリー精神」は、芸の世界では、どこでも、いつの時代にもありそう。

それと才能を持つ人間が生き残れる世界が、芸の世界。

植田先生は、「男役の美学の継承」はできているという前提で、「ハングリー精神」に物足りなさを感じて、憂いていらっしゃるのかな!?

 

「ベルばら」を観て、感じることや語られることは、その「形式美」。

「ポーズ」の角度などが細かく決められている、「魅せ方」の「型」の重要性。

他の舞台を観た後、「宝塚」の「男役」を見ると、所作の洗練度が違います。

以前は、もっと違ってたのかもしれないけど、継承されていると思います。

「ベルばら」上演が決まると、過去の演じたスターさんが指導されたりしてます。

お稽古も、大変そう。

それでも「警笛を鳴らす」位、不安?

私は、最近の上級生リストラっぽさの方が、不安です。

「別格スター」と新たに呼ばれるようになっていらっしゃる方々は、ハングリー精神をもって、「男役の美学」を追究された感のある方。

そして、学年が上級生になってしまったが故に、厳しい状況下に置かれていらっしゃる気がします。

「男役10年」が、実際もっと時間がかかっている気がします。

頂点に君臨する男役トップスターさんは、学年は若くても構わないです。

ただ、「男役の美学」を極めてる感のある方々が、「別格スター」扱いで終わるのは、歪みが生じてきそう。

むしろ、そちらの方を憂いてます。

えらそうな事を言ってごめんなさい。

 

さいたまんぬの言ってることは、「植田先生」の言いたい事じゃない、それは別件!!

とも、思います。

ただ、「次世代のベルばら」という題名の記事で、②はともかく、

①は、素直に、うなずけず、考えてしまいました。

②についても、「ベルばら」は「宝塚歌劇オリジナル」で、多少古臭く感じても、観ると、「原点」感はあります。

ただ、その時代の社会性への問題提起したアレンジまでは、気づかなかった・・

今度、そういう視点で、観てみます。

フランス革命を題材にした作品が、増えてきて、「ベルばら」じゃない作品で、「社会性」を感じてました。(これも失礼?)

 

個人的な感想なので、ご容赦ください。

 

ただ、記事を読んでいると、『エリザベート』初演が決まるまでの過程をドラマチックに盛ってる感と似ています。
『ベルばら』は、当時を知るスタッフがいないだけ、盛ってる度合いは分からない・・
これまた、暴言ですが、当時、上演に反対の声があったのは、確かでしょう。


(引用概略)
 スタッフは男性ばかりゆえ、もちろん、少女漫画の“ベルばら”を知らなかった。
「一体、それはなんや、フランスといえば、ユリの紋章のユリやろ。バラなんて題名はおかしい、というぐらいの時代で・・・」
 ⇒宝塚歌劇は、「バラ」か「すみれ」のイメージなので、歌劇の原点を感じた言葉。
 ついでに、スタッフは、関西弁なんや・・地方の劇団を感じる

「不倫」を扱うのもNG。
「女王が他国の男性と情を通じるなんて。清く正しく美しくの宝塚では、絶対にダメです」(長谷川一夫先生談)

 

やはり、『エリザベート』に共通する点が多いです。
・作品を知るきっかけは、ファンからの手紙。
・反対の声が大きい中、成功を確信し、周囲を押し切る熱意。
・初演時の不安が、開幕後の予想以上の反響。⇒「宝塚歌劇」の「代表作」になる

 

また長文になり、話が脱線してきました。

劇団の存続には新たな作品が必要・・・だと記事の主旨と外れるので省略。

 

結論は、「ベルばら」は「古い」ではなく、「次世代ベルばら」の継承が大事ですね。確かに、これからファンになる人にとっては「新作」です。

植田先生は、「宝塚歌劇の屋台骨」ずっと共に歩まれた方です。

それだけに、変化を感じるのなら、そうなのかもしれません。

これからも、「ベルばら」は色々言いましたが、再演してほしいです。

でも、今、大劇場で上演できそうな組は・・・何組、何編??

 

超長文のつぶやきと、少々暴言を失礼しました。

『ベルばら』は、立ち見してまで観たので、好きです、許してください。

 

さいたまんぬ

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植田先生の記事の概要は、以下のとおりです。

①「次代の生徒やスタッフたちに、初演時の状況下(経営難で存続できるかの瀬戸際)、厳しさ、熱気、責任感、必死さで作り上げた思いを改めて伝える必要性を感じている。それが、今の宝塚の原点にあることを心に留めておいてほしい。」

「これから何年も続いていくためにも、彼女たちのハングリー精神を知って、残して、伝統としておかないと。守られてきていますから、強風がきたときに、折れてしまうので」と警鐘を鳴らす。

 

②「僕の創作のテーマ・・・どうすれば、社会性を持った、お客さまに喜んでいただける作品を作れるか」

「いま社会情勢は混沌とし、天災も。最後に大切なのは1人1人の心です。ベルばらに描かれる人物は決して逃げない。彼らの生き方を、お客さまが、自分自身やそのときの日本に置き換えて見ていただけたら」
「ただのお祭りにはしないで、未来を語るものにしたい。年代ごとに当時の社会情勢を交えながら、何か問題提起できないかなと。皆さんも、我々も、今後の道筋も開けてくるものにしたい。」

  

(2019年9月29日 livedoornews)

news.livedoor.com