すみれコード緩和化!?~「愛聖女」に思う~
ちょっと辛口です。
「愛聖女」は、「愛希さん」の魅力に助けられた作品でもあり、魅力を引き出した齋藤先生はその点で、良かったです。
ただ、個人的に「作品」は、あまり好みではなかった。
と、書きました。
好みは、人それぞれだし、結果的に「愛希さん」の魅力は満喫できたので、良いです。
好みじゃない点も、個人のツボの違いなので、自由です。
で、個人的に「好みじゃなかった点」は、大きく2つ。
①劇中のゲームピコピコ音、グルグル君など、ゲーム音と画面
②台詞がちょっと「すみれコード大丈夫?」な箇所あり
です。
①は、まさに「好みの違い」です。
ただ、もし、大劇場公演で、トップスターさんのサヨナラ公演なら、ちょっと物議を醸し出した気もします。
特に、ストーリー展開に、関与してこないので、問題ないのですが、逆にカットしても作品は成立するだけに、複雑。
実験的な試みができる場でもある「バウ公演」。
あの「ゲームピコピコ」が、シリアスな場面を和ませる効果として、必須なのか!?
舞台に、映像が導入された当初も違和感がありました。
でも、慣れると、効果的に感じることもあります。
「ピコピコゲーム音」がやがて、普通に多用されていくと、慣れるのでしょうか?
ただ、作品内容(ゲーム開発者が主人公)によりけりですが、今回は、特に良い効果をもたらしてるようには見えず、個人的には好きではなかったです。
②は、アドリブだったら、個人的に(注意の)呼び出しがありそう。。
しかも、娘役さんの台詞なので、アドリブなら、バッシングがありそう。
でも、「台詞」です。
核心をつかず、におわせているだけなのですが、鈍感なさいたまんぬでも「きわどい」と思いました。
「笑いのツボ」の違いとは種類が違います。
清くない・・・。
色気や危うさが滲み出過ぎて、「宝塚歌劇」にふさわしくない場面でもないです。
コメディなので。
そう、「きわどい」けど、コメディで「笑い」を取る場面の設定なので、セーフなのかなと。。
この場面が無いと、作品が成立しないわけではないだけに、複雑。
1週間の舞台で、無事終了しましたし、問題になってなさそうなので、「すみれコード」が緩和されたのかな?と思いました。
ただ、「宝塚」は夢の世界。
顔から火が出るくらい「恥ずかしい愛の台詞」で、ファンでなければ受け付けない台詞は、全然OKです。
逆に、一般人にも分かりやすいけど、「宝塚の舞台」としては、受け入れにくい台詞はNGです。
「エリザベート」「1789」「ロミオとジュリエット」等、東宝版の方が、生々しい台詞があったりします。
どちらが好みかは、個人の嗜好なので自由です。
ただ、さいたまんぬは、「宝塚歌劇」に「すみれコード」があり、「美しくて品がある」ジェンヌさんたちが「夢の世界」へと誘ってくれる舞台が好きです。
なので、その台詞、「宝塚の舞台」で言っちゃっていいの?と思いました。
「すみれコード」の定義が曖昧です。
Wikipediaでは、
「劇団の品格を損ない、また観客の「夢」を壊すような内容は、劇団・劇団員から公表されることはなく、ファンも求めないという暗黙の規範」
許容範囲が曖昧なので、今回はOKだったのかなと。
初演時、レットバトラー役(トップスター)に髭を付けて、物議を醸し出した時代から、今は、髭を付けていても、批判殺到はないので、許容範囲が拡がりましたね。
たまに、東宝の舞台では、「すみれコードではNG」な台詞を耳にします。
小池先生演出の同じ作品でも、使い分けされているので、舞台演出上、配慮されているのは確かです。
ただ、緩和されているにせよ、可憐な娘役さんの台詞としては、結構「きわどい」くて、印象のよろしくない場面となり、惜しかったです。
(個人的感想です)
「品性を欠く」にも、種類があり、観る側の感じ方も個人差があるので、「言い過ぎ」なら、さいたまんぬ自身に「品性」がないので、ごめんなさい。
「ジャージ」も、超現実的ですが、見事なスタイルで着こなされていて、感心する位だったので、OKです。やはり、許容範囲が曖昧です。
退団記念のバウ公演なので、マイナス面を挙げて締めくくるには、しのびなく、「愛希さん」の魅力は満喫できて、良かったことは、強調しておきます。
さいたまんぬ