愛希れいかさんが「女帝」と呼ばれないのは何故?①~花總さん「女帝」の推察~

バウホール主演公演「愛聖女」、観れないと分かりつつも、「完売」の文字に未練たらたら"(/へ\*)"))ウゥ、ヒック

小川理事長、バウホール公演のライブ中継はしないのですか?

チケット代より高いから無理。

いやいや、定価を下げてくださいな。

さておき、「愛希れいかさん」は名実共に「トップ娘役・オブ・トップ娘役」

娘役として、劇団側の待遇もよく、功績を認めていらっしゃいます。

あの伝説の娘役さんを彷彿させます。

花總まりさん」°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

花總まりさん」は在団時、「女帝」と影で(公式ではないという意味)呼ばれていらっしゃいました。

現在、宝塚歌劇の外で活躍されている「花總さん」は主演作品でも「女帝」と呼ばれません。
あくまで、宝塚歌劇団の在団時限定の「女帝」です。

でも「愛希さん」は「女帝」と呼ばれません。

さいたまんぬが知らないだけで、すでに呼ばれているなら失礼しました。

そもそも、この「女帝」の意味合いや使われ方にはおいて、「失礼」なのかは、疑問ありですが。。。

「愛希さん」について、さいたまんぬは、犠牲組に「月組」を充て、本命「グランドホテル」大劇場公演すら観ておりません。

よって、語れることは観た作品内なので、超偏見が入ってます。

ご承知ください。

「犠牲組」とは、以前書きましたが、さいたまんぬの観劇の拠点は、実家に帰省した時の大劇場公演です。

よって、毎公演、帰省するのは難しく、大劇場公演で観れなかった公演の組を「犠牲組」と呼んでおります。

その場合、東京公演を観劇します。

ただ、よく体調を崩すため、ここ数年、東京公演は断念することが多いです。

また、貴重な1回の観劇では、分からなかったり、服薬して寝てしまったりと、あまり記憶に残らないため、残念無念な公演となります。

というわけで、ヅカ熱が平熱で、犠牲組がたまたま「月組」に集中し、東京公演を断念しても、悔やみ具合は「並」でしたが、それでも「グランドホテル」はかなり悔やんでいる公演の1つです。

話を戻します。

珠城さん月組での「愛希さん」は「女帝」と呼ばれてもいい位、舞台上での活躍ぶりは素晴らしいです。

トップ娘役在任年数だけで、花總さんは「女帝」と呼ばれていたとは思いません。

(トップ娘役在任期間:(花總さん)12年3ヶ月、(愛希さん)6年7ヶ月)

確かに「在任期間」は、「女帝」を拝命する、かなり大きな一因だと思います。

「女帝」と呼ばれ始めた時期の記憶は曖昧です。

おそらく、宙組異動辺り(研8?トップ在任4年目~?)からではないでしょうか!?

「花總さん」は「和央さん宙組時代」は、「和央さん」を立てて控えめだった印象があります。

でも「女帝」と呼ばれておりました。

そこそこ長いトップ娘役在任期間、娘役としては珍しいバウホール公演主演、舞台での活躍度.etc

トップ娘役の域を越えて、月組では欠かせない存在感だった「愛希さん」。

なので、

「愛希さん」は「女帝」と呼ばれないのは何故?

と思ったわけです。

ただ、さいたまんぬも、「愛希さん」には「女帝」という響きはしっくり来ません

「花總さん」といえば、文句なく「代表作」は「エリザベート

でも「エリザベート」は「皇后」なので「女帝」ではありません。

「花總さん」「愛希さん」のお二人共が演じられた、「マリーアントワネット」。

この女性も、「女帝」ではありません。

「暗黙の了解」ですが、本来の定義で「女帝」が使われているわけではないことは承知です。

一応、「女帝」の定義を見てみると、

・自らが帝位を有する場合に使用されることが多い。

・女性が皇帝の後見として政治を行う場合に「女帝」と呼ぶ場合もある。

マリア・テレジアも、ハプスブルク家の家長として絶大な権威と広大な領土を保持していたことから、日本では「女帝」と呼ばれることもある。夫フランツ1世シュテファンは、共同統治者であるだけでなく神聖ローマ皇帝として帝位にもあったが、宮中で軽んじられていた。

Wikipediaより一部引用)

トップ男役を支えている貢献度(支え方)では、「花總さん」より「愛希さん」の方が高くないですか?

「トップ男役の学年や経験値」では「和央さん」より「珠城さん」の方が就任時点では「未熟」です(失礼)。

そこで改めて、「花總さん」が「女帝」と呼ばれるようになった根拠をさいたまんぬなりに挙げてみました。

①在任期間(12年3ヶ月

②在団期間(16年3ヶ月?。1991年~2006年7月2日)

③位の高い役が多かった

④相手役の人数が多い(5人:一路さん、高嶺さん、轟さん、姿月さん、和央さん)

⑤〇△〇△〇△

確かに、①~④において、花總さんは他の過去トップ娘役さんに比べて圧倒的に長い、多いです。

男役トップスターで、同じ経歴なら、「カリスマ」「〇年に一度の逸材」「レジェンド」などと呼ばれます。

確かに、「花總さん」も呼ばれています。

男役トップスターが「帝王」と呼ばれないのは、元々男役優位社会で「普通」だから?

ただ、「女帝」となると、男役トップスターの横に寄り添ってる感はなく、

・一人立ちしている

・君臨している

・男役トップスターを凌ぐ勢い

の雰囲気が漂う言葉の響きがあります。

そこで、「花總さん」が「女帝」と呼ばれた理由として、さいたまんぬイチオシは、

⑤〇△〇△〇△

です。

 ⑤〇△〇△〇△は、

「花總さんのハマり役が、気位が高くて、男役をひれ伏させる役が多かった事」

そして、

「それが素顔の時も「孤高の人」のイメージとして定着した」

からかなぁと思いました。

「女帝」って、「孤高の人」って感じがしません?

「花總さん」で好きな役と印象的な役は、

エリザベート」の次が「鳳凰伝のトゥーランドット役」です。

カルメン」も有名ですが、憶えてません。

蛇足ですが、「花總さん」の過去の公演歴を観ても、「ショーの主題歌」や「美しい姿」の方が印象の残っており、さいたまんぬは当時、まだ「ショー派」時代のようです。

「ショー派」時代は、お芝居は付属品扱いのため、記憶が薄いです。

それなのに、「鳳凰伝」における気高さ、圧倒的な風格で、さいたまんぬは、客席でひれ伏しました。

よって、「エリザベート」「トゥーランドット」で、「気高く孤高の人」がハマり過ぎ、男役トップスターをもはねのける役柄であったこと、

さらに、

12年もの在任期間で、5人の男役トップスターに対する姿勢も変遷を辿ったこと

が理由に挙げられると思います。

最後は、明らかに妄想と偏見度合いが強いため、「追記」にしました。

宙組で、「姿月さん時代」に比べて、「和央さん時代」 は、役柄はともかく、ご本人は男役トップスターさんを立てる姿、本来よく見る娘役さん像の印象が強いです。

さいたまんぬの印象では、それが裏目に出た感があります。

在任期間もベテランの域になり、初心を忘れず、変わらぬ姿勢で「控え目」を貫けば、問題なかったです。

ただ、「姿月さん」に比べて、同じく雪組から異動した「和央さん」と親しい事は、当時の「歌劇」の記事から、感じました。

①在任期間の長さ

②「和央さんとのコンビ」待ち(待ってるのは、花總さん)と言われた(噂)。

③「姿月さん」のちょっと頼りない感じ(そこが舞台上の歌の場面の堂々とした感とのギャップ萌えで人気があった気がします)に対して、「凛とした感」、「同じく堂々とした感の和央さん2番手」とタッグを組んで、姿月さんを支えているように見えた。

①~③の相乗効果?で、「花總さん」が主導権があるように見えてしまいました。

その姿勢が、「和央さん時代」に「控えめで一歩下がって支える娘役さん」に変わった感がありました。

「対等な姿勢」を貫かず、「謙虚な姿勢」へと切り替えたのに対して、舞台上は変わらず、風格があるままなので、より、主導権が「花總さん」にある印象を受けました。

なので、「女帝」が定着したのかなぁと思いました。

「花總さん」が「女帝」と呼ばれるようになった経緯は、書いていて納得できました。

あくまで、さいたまんぬ個人の推論です。

誰に聞いても「代表作」が、宝塚歌劇を代表する作品となった「エリザベート」で、色々な方が再演されても、「花總さん版」が強烈なインパクトで殿堂入りしているというのは、やはり稀有な存在だと思います。

その点だけでも、娘役の域を越えた「レジェンド」であることは間違いないです。

・・・愛希さんに触れずじまいでした。。

長くなったので、分割し、②へ続くことにします。

 

さいたまんぬ

 

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