「エリザベート」と小池修一郎先生についての考察③
この考察、結論ありきではなく、書き始めたら、収拾つかなくなってしまった系です。
なので、「何が言いたいねん!」
と、自分でツッコミ始めたので、先に、無難に締めくくりの文言を書いておきます。
記念すべき10度目となる月組「エリザベート」の全配役も発表されたことですし。
(結論)
今回の公演の見所は、「愛希さんのエリザベート」
(理由)
ちょっと「エリザベート」に飽きてきた小池先生。
しかも、宝塚歌劇で上演するには、脚色するにも制限が多く、
「自由が利かないなんて、もううんざり!」
「パパ(植田先生)のように、生きたい!」
(エリザベート劇中歌より引用)
でも、これまでの恩義がある劇団の上演要請は拒めない。
そこで、これまでの貢献度で着実に培った権力をちらつかせて、配役に趣向を凝らして気を紛らわせてきた。
しかし、今回に限っては、若手月組メンバーの今後への対応を劇団も決めかねており、口うるさい理事様方の意向から、配役の自由もきかない。
そこで、さいたまんぬは、小池先生がとるであろう行動に対して、2パターン予想しており、現時点で結論が出ておりません。
①前回同様、後進へ道を譲る
(演出は若手へ委ね、総監督の位置づけで要所のみチェック)
②マンネリ感を抱きつつも、意外と乗り気で、キャスト鍛え上げにかかる
失礼ながら、最近の過去数回の上演より、今回は②があると思います。
何故って?
今回の公演の見所は、「愛希さんのエリザベート」
だから。
ここからは、よりハイリスクな自論です、一人戯言なのでご容赦ください。
小池先生だって、人間。
誰もが初演に一番思い入れが強く、それが成功した場合、しばらくの間はその余韻に酔いしれます。
そして、成功体験に自信をつけると共に、初演のマイナスポイントを見直し、ブラッシュアップして、再演に臨もうと意欲的に取り組みます。
ということで、数回の再演は乗り気で取り組みます。
でも、人間は欲深い生き物。
新しいものへ目移りします。
ましてや、演出家として充実期を迎えた場合、新作のアイデアが次々浮かび、上演も可能な権力も得たならば、糟糠の妻より美人な側室へ心が傾きません?
しかも、糟糠の妻は、もはや自立して生きていけるしっかり者。
妻の地位も盤石。家臣たちの妻への信頼度も厚く、自分が放置しても、周りが世話してくれる存在。
で、少し外で遊ぶ時間が増え、帰宅が遅くなり始めました(東宝版エリザベート)。
外で遊び始めたら、面白いからやめられなくなっちゃいました。(モーツァルト!他)
周りもちやほやしてくれるし、外とは言っても、職場近隣(東宝)なので、多少やりたい放題しても、怒られない。
でも、根は真面目な優等生。
これまで、支えてくれた糟糠の妻を棄てるなんてできないので、必ず帰宅します。
本音として、優等生なので、糟糠の妻を棄てた際に受けるバッシングによるイメージダウンは避けたいのも、ちょっとある。
それに、家はやっぱり、リラックスできるんだよね~。
パジャマ姿(パンツ一丁:すみれコード✖)で、ゲームしても、文句言わない妻って、中々いないしね。(オリジナル作品)
なんていったって妻はオレにベタ惚れ。
大概のことは大目に見て、褒めてくれるので、居心地は悪くない。
てな感じで、小池先生は歌劇団から飛び出ることはありません。
「エリザベート」からの完全撤退も、ありえません。
演出家交代時に大絶賛され、初代の功績を忘れられないよう、オレの「エリザベート」は、オレの目の黒い内は他人には渡さん!!
(小池先生が「トート」?)
揺るぎない頂点に君臨していても、下からの突き上げは怖いもの。
地位を脅かす存在は、自分が現役の間は、どんなに相手が年下の小人でも、気になると思います。
そんなわけで、今回の月組公演にも、小池先生は携わるわけですね。
ただ、前回までと比べて、モチベーションを上げてくれるのが、
「愛希さんがエリザベート」
であること。
妄想の域に入ってきましたので、もう、スルーしてください。
さいたまんぬが、初演「エリザベート」が忘れられないように、初演は伝説の舞台となりました。
その成功を導いた功労者は、キャストそれぞれのハマり具合と各生徒さん達の努力、そして、演出を宝塚版に変更した小池先生であるのは間違いないですが、やはり「花總まりさん」この人の存在超大きいです!!
「花總エリザベート」の第一幕のラスト、「鏡の間」での登場は、いまだ、脳裏に焼き付いて離れません。
その素晴らしさは、皆さまが語られていらっしゃるので省略。
そこに、今回エリザベート扮する「愛希」さん。
大型娘役さん、貢献度大の娘役さんへのはなむけに、割り充てられることが多い役ですが、今回も同じように、配役が決定したのかもしれません。
確かに「愛希さん」は、花總さんを彷彿させるような、舞台での活躍ぶりで、トップ娘役さんの中でも、重用されています。
ここ最近は、舞台を観ていて、贔屓目なく、自然と目で追う存在となり、次の役は彼女ならどう演じるかな?
と、ワクワクさせてくれるレベルまで到達しています。
演出家が充て書きした結果、おいしい役になったとしたら、演出家も同じことを考えているわけですよね。
つい、「演じてほしいなぁ」と思って作った作品が、結果的に愛希さんが目立つ役になってしまうのは、恣意的ですね。
それこそ、本物の「スター」ではありません?
だから、もう宝塚を卒業されても仕方がないかなと思ってしまいました(涙)。
「愛希さん」は、さいたまんぬが月組を犠牲組(劇回数が物理的に少ない)にしている間にいつの間にか、大化けしてしまわれたのです。
大きな犠牲に後悔。。
ただ、これまでの役柄は、いわば演出家による、出来レースで、「愛希さん」は、目立つ役柄を上手く演じるだろう、と予想し、その通り、任務を果たされておりました。
と、少し暴言ですが、思っています。
役と持ち味が合っているというか、持ち味が役に引き寄せられる範囲内というか。
それだけ、彼女に魅力があるので、「異議なし」です。
しかし、「エリザベート」は手強い。
解釈の違いに対する許容度が「死」ほど大きくなく、根幹にあるものを変えるわけにはいかない役。
それに加えて、明るい空気を纏った「愛希さん」と正反対な役柄。
ここ、役者としての真価が問われると思いません?
観てみたいと思いません?
発表されたとき、過去の再演と同じ反応(「またか」、「やっぱりね」)でしたが、ふと「愛希さん」に引っかかりました。
「花總さん」と同じような存在感であるものの、持ち味もスタンスも全然違う「愛希さん」。
中性的で、透明感があり、魅力的なのに、一言で言い表すのにふさわしい言葉が見つからない。
持ち味として「明るい」を連呼しておりますが、それは「素」の時の雰囲気であり、役者としての持ち味とは違います。
「役者としての持ち味って何よ?」
って、言葉が出てこないので、
例えば、「美弥さん」。
彼女は持ち味がはっきりしている感じです。
なんてことを「愛希さん」の舞台を観る度に、考えておりました。
なので、今回、役の個性ががっちり決まっている「エリザベート」をどう捉えて臨まれるのか、大変興味があります。
小池先生がもし、もし、さいたまんぬと同じことをちょこっとでも思っていらっしゃったら、演出に携わりたくなりません?
と、長かったですが、10回目の宝塚歌劇版エリザベートの見所にどの程度、小池先生のご興味を抱かれるかも、見所だと思いました。
ついでに、「生」役が似合う珠城トートも気になってきました。
配役発表と「宝塚おとめ」で、ちょっと勉強したので、若手さん達の活躍も楽しみ。
と長文になり、過去上演された「エリザベート」と小池先生を振り返るつもりの考察が、全く本題へ入れずじまいで、また次回へ続く。
さいたまんぬ